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医療分野における催眠術の起源と展開 --古代エジプトからシャルコーまで

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This Japanese-language graduation thesis first traces the use of hypnotism as a medical practice from the time of the ancient Egyptians and Greeks, through the middle ages, the enlightenment, and to the present day. It then examines the use of
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  1 報   告   書   概   要   医療分野における催眠術の起源と展開   古代エジプトからシャルコーまで   本研究は、精神医学の基礎となった、医療分野における催眠術の起源と歴史を古代エジプトから 19 世紀フランスにおいて活躍した J. M. シャルコーまで探る研究である。   古代エジプト、医学の神イムホテプ神殿で行われた夢治療について言及し、古代ギリシアの睡眠神殿での呪術や治癒の歴史的背景を検討した。   中世に行われた悪魔払いについて触れ、病の原因が悪霊や悪魔であるという考えから磁気の存在とそれが身体へ及ぼす影響へと変化するなかで重要と思われる人物について記した。   メスメリスムの発起人、 F.    A.   メスメルの動物磁気説の成立とその背景を探り、磁気術師と患者間のラポールに着目し、催眠術を魔術から心理学への方向転換に成功した J.   ピュイセギュールの、磁気催眠へ導いた「ヴィクトル」の症例を含め功績を辿った。   催眠術という用語を初めて採用し、催眠術を医学的視点より J.   ブレイド、フランス催眠治療における対立したナンシー学派(  A.   リエボーと H.   ベルネーム)とサルペトリエール学派( J.   シャルコー)について言及し、自己暗示療法を確立した E. クーエの暗示を紹介した。そして最後に現代の催眠治療にも少し触れた。   ピュイセギュールの著書『磁気化メッソッド入門』はフランス語で書かれ英語に翻訳されたが、日本語には翻訳されていないため、本研究の付録とした。    2 序   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   3 1.   催眠術の起源の問題   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   4   古代エジプト-イムホテプ   古代ギリシア-アスクレピオス   2.   中世とルネサンス   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   10 アグリッパ   パラケルスス  3.   現代の催眠療法に貢献した人々とその社会的背景・・・・・・・・・・・・・・   12   フランツ・アントン・メスメル   アルマン=マリ=ジャック・ド・シャストネ・ド・ピュイセギュール侯爵   ジェイムス・ブレイド   ナンシー学派とサルペトリエール学派   エミール・クーエ   4.   現代の催眠療法および認知行動療法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   30 Stanford Hypnotic Clinical Scale for Children 催眠治療の承認   現在の日本における学会   5.   おわりに   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  34 謝辞   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   35 付録   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   36   『 小さな教本   磁気化メソッド入門』、 ピュイセギュール著   文献録   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   45    3 序   「催眠」( hypnosis ) とは、ある一定の身体的特徴を伴った独特の精神状態をいい、眠りに類似しているのは見掛けだけである。その特徴は、個人が通常の意識状態以外の意識により行動するものである。 1   それは暗示を受け入れる状態にあるといえよう。催眠はヒプノティストにより導かれることが多いが、トレーニングを積むことで自分自身を導くこともできる。催眠術はさまざまな医師や歴史家、医師まがいにより研究が行われ、現在でも続けられている。催眠下における暗示は、覚醒時でも同様の結果が得られるというのが、現代の専門家の間での共通の見解である。   一般的に催眠術は、催し物である「舞台催眠術」( stage hypnosis )を意味していることが多い。その偏見もあり、それを医学の領域で活用することに抵抗を感じる人もいる。しかし、それを歴史的にみると、催眠は医学・宗教・習慣がそれぞれに絡み合うように存在し、文化のひとつとして世界各地の様々な時代の人々に受け入れられてきた。医学の発展とともに催眠や自己暗示のもたらす効果が医学的・心理学的側面から再認識され、現代でも積極的に研究が行われている。催眠や暗示によりあらゆる疾患を治療する歴史をたどり、薬物療法の代替としてではなく、共存する治療法のひとつとして、その背景や可能性を本研究で探ってみたい。   世界各地で見られるシャーマンも宗教的、医学的、文化的要素を多く持ち合わせているが、シャーマンのみがトランス状態で予言や治療を行い、嘆願者はそれに導かれることがないことから、本研究では取り上げないこととする。   本研究でのカタカナ表記は、主にリーダーズ英和辞典、リーダーズ・プラス第 2  版(研究社)による。   1   Encyclopedia Britannica.  4 1 催眠術の起源の問題   催眠術の歴史を語る文献はいろいろと存在するが、それらの多くは古代エジプトや古代ギリシアで行われた「睡眠神殿」を起源としてあげている。以下において、それらの主な起源説を検討する。   古代エジプト-イムホテプ   古代ギリシアの医師ヒポクラテス(紀元前 460-370 年)は医学の祖と頻繁に称されるが、医学の歴史はさらに千年以上さかのぼることができる。古代エジプトは文明の発祥地で、医学においても先進国であった。 19 世紀中頃に発掘された医療関係古文書には、古代エジプトで行われた治療の数々がみられ、現代の医療に受け継がれているものも含まれている。緩下剤としてひまし油、コロシント( colocynth, スイカ属で実を使用)、いちじく、ふすまなどが処方され、疝痛の治療には現在でも使われるヒヨス属の植物が用いられた。アカシアもすでに咳止め薬として利用されている。 2   紀元前 1550  年頃に書かれた Ebers Papyrus  はその数世紀以前の医学文献の寄せ集めで、人体の骨格構造、胃腸の働き、血管が心臓から全身へ張り巡らされていることなどの正確な情報が記されている。 3   古代エジプトでは、医学・神学・呪術が密接に関係しており、催眠を利用した治療法はすでに医学の神イムホテプ( Imhotep )が祀られた神殿に見られる。 4   イムホテプは記録に残る最古の医師で、紀元前 2,670 年頃ジョセル王( Zoser , 古代エジプト第 3 王朝の第 2 代の王)に仕えた建築家・医師・宰相・聖職者で、没後約 2,500  年には医学の神としてあがめられるようになる。   建築家としては、エジプト古代都市メンフィス( Memphis )の南西にある村サッカラ( Saqqara )に、エジプトで最初の階段式ピラミッド(ジョセル王の墓)を設計したことがよく知られている。   イムホテプの宰相としての評判は、「七年飢餓伝説」がアスワン(  Aswan )南に位置する島、 Sehel にある紀元前 323 年頃の花崗岩に刻まれている。それによると、この地域の農地を潤すナイル川の氾濫が 7  年続けて起こらず、農作物がその間ほとんど育たず人々は飢餓に苦しんでいた。王はイムホテプに解決案を求めると、イムホテプはナイル川についてパピルス文献を調べ、王がナイル川の源を司る神、 Khenum  の崇拝を怠ったからであると結論づけた。さっそく王は神を祀る神殿を訪れて供え物を納め祈願すると、神が王の夢に現れナイル川の水位は上昇し灌漑に欠くことはない、と告げられる。それ以来、王の土地は潤され人々が食糧不足で苦しむことはなかった。 5   イムホテプの適切な策が人々を救った   2   The Telegraph  紙による。   3   以下、古代エジプトに関する情報の多くは Hurry, J.B., Imhotep, The Vizier and Physician of King    Zoser and the Egyptian God of Medicine  によるものである。   4   文字通りには「平和を願う人」の意。   5   これに類似したものが旧約聖書『創世記』 4 章 15 節~ 36 節にある。ファラオの夢を七年飢餓への備え  5 とされるが、エジプト学者マスペロはこの伝説は聖職者によるでっちあげであると指摘している。 6   神々を称える書物や言葉には不思議な力があると信じられていた。イムホテプも聖職者で呪術師のひとりとされ、王と万有の力との橋渡し役として死者の行方を左右する人物あった。古代エジプト人は死後黄泉の国を旅すると信じ、葬式の費用が負担できない者や魔除けのお守りなどを購入する余裕のない貧しい人々も、イムホテプの呪文によりその旅を滞りないものにしてくれた。医学と呪術も同一視され、不運の予防、病気の治療、慈悲や悪意ある力などに活用された。 Nachautis という人物が、イムホテプの神殿で入手したパピルスをギリシア語への翻訳を試みている。彼と母親の病を治したイムホテプが、捧げ物の代わりに古代エジプト文字でかかれた医学書をギリシア語に翻訳することを命じたからである。 Nachautis の母親は四日ごとに発熱し、イムホテプ神殿で祈りを捧げ眠ると、イムホテプが夢に現れ簡単な処方を告げ、病から解放される。 Nachautis も続いて右半身の痛みや高熱を訴え、神殿での半無意識の眠りにつく。彼に付き添い眠らずにいた母親の前にイムホテプの像が現れ、息子の全身を注視したあとその像は消え息子の症状も治まったという。息子も眠りにつきながら母親と同じ情景を夢に見たそうだ。それはイムホテプの半神半人( demigod )の地位を獲得した頃で、古代エジプト新王国の頃(紀元前 1600-1100 年頃)に起こった信仰復興のながれのひとつともいわれるが、半神半人として崇められた期間には諸説が存在する。 7   イムホテプが確実に神格化されたのは、およそ紀元前 525  年ペルシアに占領され、古代エジプト王崇拝が復活した頃とされる。エジプトの神々のなかで最も古くから崇拝された神の一つ、メンフィスの氏神で創造の神でもあるプタハ( Ptah )の息子となり、プタハの配偶神セクメト( Sekhmet )と共にメンフィスの偉大なる三つの神のひとつとなった。それらは治癒の神々としても知られている。絵 1  は神格化したイムホテプの絵で、左手には生命を象徴するアンサタ十字を、右手には権威を象徴する棒を持つ。カルナク( Karnak )プタハ神殿にある。   神殿では近代的な治療環境が提供され、ナイル川への遠足や音楽鑑賞、絵を描くなどの   とヨセフが解くものであるが、イムホテプ( Imhotep )とヨセフ( Joseph )は同一人物であった可能性もある。古くは I を J と発音したこともあり、 hotep と oseph はほぼ同じ発音である。ヨセフがエジプトのつかさになったことも偶然ではないかもしれない。   6   Maspero, The Dawn of Civilization  , 1894, p. 240 にある( Hurry, p. 7 による)。   7   議論の詳細は Harry, pp. 30-36 を参照。   絵  1  医学の神イムホテプ  
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